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人は最期うたしか聞けない

  母はボケちゃって、一年前から老人ホームに入っているんだが、いろいろ見に行って初め近所にある新築のグループホームに入れてみたんだが、そこは普通の株式会社が経営していて、儲かりそうなので老人ホーム業界に参入しましたが、というタイプのもので、何もかも良くなかった。施設がキレイなのが救い、という感じ。でも他に素晴らしいところのあてがあるわけでなく、仕方ないか・・という感じで入れていたが、文京区民ならみんな入りたい「ゆしまの郷」という特養が空いたので、それは即移った。去年の11月くらいだったかな。私は昨年からこの家と隣の費用負担を全部しているので(おまけに去年はまだ扶養家族がいたし国立とはいえ最後の学費もあったよね)正直助かった。特養は母の年金内でいられるし。

 しかしそれから半年、特養の何たるを知る。特養とは、もう向上しようという人がいるような施設ではなく、静かに死ぬの待ってるような施設である。ケアが行き届かないとかそういうことではなく(そこは前のところよりよっぽどいい)とにかく、あまりレクリエーションをしたりリハビリ頑張ったりするのではなく、静かにゆっくり最期を迎える施設なのであった。

 ちょっと母には早かったのかもしれないよね、と思いつつ、毎度行くと退屈で死にたくなってる母親を見るのは正直苦痛である。お父さんみたいな出来る男と暮らして「働かないで暮らせる」なんかを名誉に思って思考停止して生きてたりするからこんなことになるんだよ!などと自分を正当化せずにはいられない。私は母の生き方に全く賛同できない娘である。

 しかし、自分はどうなんだと言われると、「ダメ旦那と暮らせた理由」が、うちの両親の残した小金と家だったりするんだから、それでお嬢さんの「貧乏ごっこ」をバックアップしてくれて、ダメ旦那もしっかり役を全うしてくれて、近年ますます磨きがかかっているが。

大きな屋敷に常にわけのわからない食客がいるように、少し稼げる男には必ずブル下がっちゃう女が出てくるものだが、そんな男すら見つけられずに親にブル下がっちゃってる私ってどうなのよ、と思いつつ、でももう戦後はおわったのさ、誰だって親の持ってる家の一つくらい相続してしまっているではないか。今貸しDVD落ちの「黒革の手帳」(松本清張、米倉涼子版)を毎日2話ずつ見ているが、だれの所有にもならない!と米倉涼子が言うとカッコいいのである。誰の所有にもならないのでなくなれないのでもならないと言ってしまう。

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でもみなさん、家で看取るとか、家でぼけ老人を最後まで見た有名人とか、もうご立派で涙が出るが、私はもともと家族間でケアしたり絆を確かめ合ったりすることが胸くそ悪いと思う癖があり、それはあたかも昭和のオヤジなメンタル、家のことは家内に任せる、みたいなさ、子どものオムツ一つ変えられない男というジャンルがあるが、むしろすごくわかる。ケアにまつわることは全部なんにもやらないと決めてかかる男、その代わり稼いでいるということで許してもらっているらしいが、大した稼ぎじゃなかったりもするが、そういうことではなく、そういうタイプがいるということで、奥さんはしぶしぶこの思いやりのない男の面倒を見つつ、お湯も沸かせないくらい、靴下がどこかもわからないくらい「無能」に仕立て上げ、最後自分がうっかり先に死んだりしたもんならぜったい生き延びさせないからな!くらいの怨念をかけている。怖えよ。

 施設でぽつんといる母親が見たくないので、娘か息子を伴っていつも行くようになってしまう(気が弱いというか)

あんなに良くしてもらったのに、どうして私は母親を見捨ててるんだろうかね。夜中ゴキブリが出て(シシローは相変わらずどっかの施設で遊んでおり、携帯も出ない)習志野からタクシー飛ばして来てもらったことなんかもあったよなあ・・ごめん。

ぼけてないならさ、たとえ寝たきりでもそれは出来たような気がするんだよね。それは言い訳だろうが。どうにも話が通じないってつらい。こういうダメな子ども育てると最後ひどいね。上野千鶴子も言ってるが、家族なんかいるから施設にぶち込まれてしまうのさ。

私は子育てというものも苦手であった。それが「子育て」というジャンルであるうちは。言語が通じるようになってからは俄然楽しかったが、「母の愛」みたいなロジックが完全にダメであるが、なんかあったか私?でも家族って「含羞」ないとみっともないと常に思ってるんだが、なんかあったか私?

しかしもう少しましな施設に入れてあげようかと毎度思う(思うだけだが)こどもにはあんなに教育費使ってきたというのに、親には親の金すらけちって使わない私。ああ、親子関係とは不可逆的ですよね、だからこそ親を大事にとか墓参りしろとか言い続けてないと人はそれをしない。

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 今日はこのゆしまの郷の家族会の皆さんと小さなうたのライブをしてきた。15分くらいだが、みんながフロワでぐたーとしている時間に刺激になるといいかなということではじめてみたんだが、みんな生き生き表情がかわったし、うちの母は感動して泣いてたよね。毎日空いてる時間に行ってやってもいい。訪問して優しい言葉をかける、とか苦手だが、こんなことでいいなら毎日できる。これ毎日やったらみんな変わるだろう、テレビもすでに見れない人々だけど、人の声は最期の人たちのもとにかろうじて届く。今の今しかわからない人たちに今の今だけの「声」を届ける。もうなんの「言葉」も通用しないというのに「ふるさと」なんかで泣いちゃったりする。末期(まつご)のうた、いやここからまだまだ長い。イタリアの老人と。

マエストロとロメオとジュリエッタ

 

 

 

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