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ちゃんとした発声

うっす!

土曜グーのライブも満員御礼で終了。
ちょっと始めの何曲かはうまくいかなかったが、その先はなかなかな出来ではなかったかな?

日本歌曲のそれも「さより」のようなポジションはアンザッツ1だけ、な曲は「後ろがあるからうたえないしー」などとちょっとしたウソをついていた私だが、最近いろいろわかってきたので、「理性」なんとか御せるスタートラインに立った感じです。

べつに「さより」をうたうことに特に魅力もないわけだが、「うたえない」のはまずいではないか。

た しかにこうなるとリサイタルの一つもやりたくなるなあ。今年は息子の大学受験だし、などとめずらしく「主婦」のような発言だが、でも実際オサンドンをする のは私なんだし、息子の学校の保護者会などいくと、セミロングの髪(染めてない)をうしろでバレッタで止め、小さなハンドバックとB4くらいのサブバッ ク、ボックススカートは膝丈、フェミニンなブラウスにナチュラルストッキング、黒のパンプスな思想が家庭に蔓延してないと「ちゃんとした」子どもは育たん のか!

育たんのだろうなあ。

うちの内情などを息子はよく自慢げに学校で語って「ドン引き」されているようだが、

ここではうちがドキュンなのか?

300人中中高で6年皆勤が100名超出る学校だが、インフルエンザ以外で息子の休んだ2日はどちらも「家庭の事情」だし・・。

でもみんなそんな「ちゃんとしていて」ココロは大丈なのか?

形式なんかどうせ「ココロ」が抜けてるわけだが、そこに「違和感」が発生するわけだけど、扱うのが怖いのか、鈍感で気がつかないのか、窒息させてしまったのか

コ コロが違和感、について追求していけば連合赤軍やオウムになるんだろうが、あるいはもうそういう集団桃源郷ツアーみたいなものにすら興味もなければ集団生 活が具体的に出来ない(朝起きられない、好き嫌いが多い、正座できない、不潔恐怖など)となれば個人で「病気」にでも逃げるしかなく、あるいは「まじめ」 に逃げて「ふつうしないよね~」を毎日唱えて「ふつう」にしてるか、いやそんなことになるくらいなら当教室に来ましょう

そんなことなんですか?おはようございます、ここからこのブログは突如対談形式になります、「受け」のほう担当の乙です。

初めてインターネットからこのホームページに入ってきた人に向けてもう少し教室の宣伝やら音楽のことをブログにも書いてくださいと新しく契約するネット会社の人に云われたものですから、

銭湯ねたが多すぎます

い や、うたの練習より良くやっていることの一つが銭湯と飲酒なもので、いわゆる「声楽」なイメージではないでしょうが、自分で言うのもなんですが銭湯ばっか り行ってる割にはうまい声楽家だ、という観点から評価してほしいです、ココロのまんまやるとこんな感じになるんですよ、クラシックというのはある「ライ ン」にはいらないと個性もへったくれもないことくらい知ってますが、しかし「標準」などというものは実はあってないので、最終的には「自分」しかないんで すよ

わかりにくいこと至極です、うっかりはちべえのような役をしますが、これもネット対策の一環です、するってえと御隠居はうたはだれがどううたっても「個性」なんでいいと?

そうです、究極は。「そのひとのうた」をうたうしかない

でもことクラシックの場合、マイクが使えない、大きな会場でうたう、などの条件があるわけだから制約はあるでしょう、クラシックはきわめて没個性的なうたい方のように思われます。マリアカラス以外のソプラノの歌唱はどれもこれも同じに聞こえます

そ れはそうですね。クラシック音楽の修行とはある「やり方」を学びそれを使って既存の作品を一つの間違えもなくやるところで初めて一段階が踏めるって程のも のです。でもそんなにがんじがらめでもどうしても滲出してしまう「その人」について考えているんですが、技術を鍛えるという非人間的な努力とココロの問題 をどうするかが私の格闘ポイントではあります、いやそれはすべてのココロが葬れない人々の苦悩ではあろうと思います。適当にやるというような解決策ではな く、宗教や病気や趣味に逃げるという解決策ではなく、ココロと形式を調和させるのは難しい、「ちゃんとした発声を獲得してからうたいたい」などと云ってる と一生うたえない。そもそもちゃんとした発声なんて「幻想」です

そんな事云ってると「お客さん」が減りますよ

「ちゃんとした発声」なんかないんです。ちゃんとした人生もちゃんとした結婚もないのと同じです。でもこれは定款のように虫眼鏡で見ても読めないようなフォントで書くことだな。

大々的に云ってます

一緒に暮らしたいとか何か面白いことをして人の役に立ったりしたいとか、良いうたをうたって感動を呼びたい、というところに常に立たないと、だから結婚、だから会社、だから発声、というのは果ての便宜にすぎません。

そこで教室の「意義」が出てくるわけですね、良かった。

「発声」なんか詭弁ですよ。もう「やっちゃった人」は「学ばない」ですから。学ぶというのはもうその時点ですでに違う、本物に近づくことを「本物」はしない。学ぶは永遠の漸近です。

それは約款に小さく書いてくださいよ。でも教室の皆さんは確実にうまくなっているので「発声指導」が功を奏しているんでは?

ネットの人が言うように「差別化」をするとしたらこの教室(私は)は発声を通して常にココロを問題にしています、それ以外にうまくなる道なんかなかろうとも思ってます

宗教くさいですね

で あるからむしろそういう言説は避けるように努力もしてます。ついチャクラとか云っちゃいそうですから。横隔膜の下げ止まりと云ってます。でも実際は前頭洞 等鼻空共鳴を使って音を出してください、というより、自分の「気」に乗せて音を一千人に届けてください、といった言い方のほうが良くなることは多いです が。

・・・・・・・・・・・
ココロの違和感、喰うや喰わずの時には決して聞こえない声ではあるがさ、
それによく耳を傾けてほしいです。それを「うた」というツールで考えていこうという教室です。

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