ゴールデンウイークも終わりましたね、ってとっくですか。
毎日銭湯に行った、くらいのことしかしませんでしたが、すこしあちこち足を伸ばしていろんな銭湯に行ってみたが
いつも行っている「菊水湯」が一番だなあ・・を再確認。何処それ?だが本郷菊坂にあるのよ。
湯の熱さ(最近ぬるいのが流行り?脳神経が10本くらい切れるような熱さが好ましい)
天井の高さ(地下とか最低、3時とか4時、高い天井から入る陽光は人のココロをも洗いますね)
サウナなどのオプションが無いこと(別料金だったりする。脱衣所までも別になってたりすると、通常コースにいると何か卑屈な気分。サウナコースは綿棒が使い放題だったりつまらない特典がいろいろある。銭湯内でアパルトヘイトしないでほしい、銭湯内人類平等宣言)
脱衣所が適当に無造作なのもいいわ(掃除もう少ししてくれよ、とは思っているんだが、気が楽ではある、忘れ物してもそのままそこに一週間でもあるし)
桶はケロリン(あのアグレッシヴな黄色と赤のコントラストだけではなく、一杯の入る量がちょうど良い設計、ケロリンの宣伝手法って独特でよいが、ケロリンって桶だと思っている人がいないか心配)
若者が少ない(腰の曲がった近所の老人が一人でとぼとぼやってくるようなところが落ち着く。セントウってなんか新しい!って感じの若者とか騒ぐガキはいらない)
つまり昔ながらの銭湯であり、「銭湯であること」をことさら意識してない事が重要で、テルマエロマエは全国銭湯協同組合が推薦してます、だからポスターくらいは貼ってあるが、それがなんであるかここに来ている人も貼った人もひとつも理解していないところが良い
今 銭湯が新しい、というような文脈で来るような客と温泉ランドなんかにいる客も同じだが、シャンプー・リンス・固形石鹸、以外のものを多く持ち込む、カラン を使わずシャワーばかり使う、湯船にあまり入らない、というような特徴があるように思われる、あと脱衣所でストレッチとかやめてほしい、ジムじゃないから ね。
つい熱く銭湯について語ってしまったが、
午後3時台に銭湯に行く幸せ。
その後買い物などして4時から水戸黄門を見ながら冷えたエビスビール(ビン)を飲めるだけの体力と財力、
良い仕事をする、その分だけの糧があり、また次の日良い仕事をする、その日清算、風呂屋でチャラ、反省せず蔵に納めず
ただここで直下地震来るのは怖いわ。耐震ゼロと思われる菊水湯だが、ばあさんたちは圧死してもいい、ってことか?いや、案外なパワースポットなのかも知れず・・・。
いや、かつていろいろあったろうその体もいまは折れ曲がったりひしゃげたりで大変そうだが、整体小池氏に言わせればもうあそこまで行くと苦しくもないそうで、
身を焦がすような情熱も焦燥も情念も欲望ももはや無く、長生きしたいとも早くお迎えが来れば良いともあまり思っていないようで、触角と簡単な消化器系統しかないミドリムシやミジンコのようである、ここまで来ると
もうクルシクないんだろう全部が
この人たちとほとんど毎日風呂に入ることで私は「老人」の理解が深まったと思う、老人を知ることは「行く先」を知ることだ
いつだか流行った考えのように、ヒトなど遺伝子の乗り物に過ぎず、生殖が終われば(遺伝子を残せれば)良いだけの媒体である、などと考えたりするが、
にしては長すぎないか
それは刑罰なのか?
昔は(むかしったって昭和20年代くらいまでは)人生齢50では無かったか?
もう何もかも「自然」でいることを許されなくなった人類は不死という「毒」に漸近しているように見えます
くわばらくわばら、
ゴールデンウイークなんか案外楽しくなかったでしょ?そう、働かないのはきっと詰まんない、働かなきゃ苦悩も疲労も無いかもしれないけどさ、働きましょう。それが「今」を死の「待機時間」にしない唯一の方法だと思う