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お中元コンサート

 そんなにモンスターを集めてどうするのかさ、つまんないこといって嫌がられてみたいから言うけどさ、モンスターは汝の心の中に・・。
 
 一匹いくらで売れるなら考えるが、ただ集めるだけって、そういうところに「わくわく」が来るのは小学生までだと思ってたが、ポーカーだって大人は掛けないとおもろくないで、みんな純粋なのね。任天堂にゲットされてクソ、とかも思わないのね。でもこういうのやってるとつまんないこと考えなくていいよね。ヒマだとろくな事しないのが人間の常だから、仮想空間で戦っててくれれば平和。
 
 全く興味なし、もう少し電子玩具に「懐疑的」であろうよ。たまごっち育てちゃった苦い経験からいうけど。
 
 じゃなにに興味があるかと言えば、もうどうしょうもなく「ウタ」でしかない。今日わかったが、コレペティと、もうそんなに真上に開けすぎてうたえないじゃん、どこかにプントを置かなくちゃ!!くらい2時間拡げてから午後「ふん、勝手に前に倒すし」でやったらすごく調子が良かった。つまり、自分にも他人にも良く聞こえないくらい上に上げて音を拾わないで、最後鼻腔の良いところに入れて前に流す、という感じ。
 
 でも午前中にあんなに開ける事をやる時間が休日しかないわ。休日は月曜しかないわ。
 
 体をかなり動かしてから練習すると朝でも少し調子がいい事判明で、最近は朝7時から400メーター泳いで、それからご飯、その後練習、そこ、息子とテレビ見てだらだらしないようにしてがんばると、9時から30分でも良いところ探れる。その後仕事して、昼にちょっとやる。その後午後4時くらいが一番調子はいいのだけど、いかんせんレッスンしていることが多いので、幻の歌唱である。4時頃うたったら「ベストな音が出せる」はず。
 
 足立区のヴォイストレーニングの人が「お中元」にコンサート開いてくれる(発想がすごい)全部お膳立てしてくれてうたうだけでいい、というのは本当にうれしいですよ。
 
ユミヨココンサート ピアノのユミコとうたのミヨコが一緒にやるから。
日時 8月27日 
場所 足立区わたなべ音楽堂(検索してね)
2000円
 
出演 鷺坂優美子(ピアノ)ホウツキ(うた)杉崎隆二(うた)伊藤春(フルート)そのほか朗読などあるかも
 
 
 
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 ボケかけた(いやボケた)母親と連日喧嘩になるが、子らに大人げない、といわれており、なんて私って意地悪な人間なんだろう、と再確認の日々である。でもイライラするね。年金もらって30年も遊んだ挙げ句にボケるなよ。
 
 生きるのは難しいのは特に晩年の過ごし方というか、半ボケなのかちょっと余人には理解しがたい事やらかしてしまう人が多いけど、そういうの晩節を汚すっていうよね。都知事選に立候補しちゃうとかね。東京都好きのひとにやってもらいたいよね、都知事は。
 
 前にも書いたと思うが、私は多摩好きである。高校の頃は多摩信金発行季刊誌「多摩」を定期購読していた。時間があると一人で狭山探検とかしていた、行った先の地図を購入してそこでの暮らしを想像して2時間はいられる。特に水場があると想像力が冴えるのよ、あと等高線が始まるところの際が好き。だから多摩が好きなのかもしれない。
 
 東京都の水系がぞくぞくする。特に多摩川。小学校3年の後半から自分で「発行」していた「川っぷちの家」シリーズは6年まで書き続けた(私の考えで秋川あたりだが、に住む貧乏で子沢山な家族の悲喜こもごも)が、母にあっさり捨てられてしまった(この人はなんでも捨ててしまう。怖いことに悪気はない。思い出とか記念とかに価値を見いださない、小学校低学年の頃、少し「障害」の傾向でもあったのか、私は山下清のように一日中ひよこの絵をかいていた。ちょっと作品!だったとおもうが、あっさり捨てられてしまった。私はその頃なんでも小さい順に並べる癖があった。それを永遠やっている。父親が射的で取った土偶人形や海で拾った貝を一日中並べていた。思えば不気味な子どもであった)
 
 確かに私はわかりにくい変な人間である。今でもそうだが、これでも家庭も作り仕事し、いろいろやっているうちにだいぶ薄れたが・・。
 
 子どもの頃は怖いものだらけであった。まずいろんなものの理解が「荒い」母親が怖かった。彼女は言葉の人ではなくカラダの人であった。いつか殺されると思ってたと思う。なぜなら私は母の「わかりにくい」事をする人間だったから。今の言葉で言うと母って「どきゅんな人」。
 
 私はこのころからもう周囲には理解されないだろう感が強く、早々に読書の逃げ場(ま、それだってバーチャルの骨頂よ)を見つけたが、あと毎日父親が変質狂的にかけてたクラシック音楽の毒な部分に過剰反応してほとんど心身症な幼稚園児であった。幼稚園児でいることがつらかった。私はこどもにクラシック音楽など聴かせることは斯様な理由から反対であるが、安心してください、フツウの子どもはろくな感性もないので大丈夫ですよ。クラシックもべートーヴェン中期後期からはおかしいのである。まともじゃないのである。そこ吸っちゃう感性があると阿片中毒のようになっちゃうよ。注意だね。ふぐでもなんでもうまいものには毒があるからね。舌先がしびれるくらいでやめとこう。
 
け、でも私はこの「芸術」の「有意義利用」が大っ嫌いだけどね。芸術は毒まで食らわないと何の意味もない。即死しないような使い方を考えながら処方、あのさ、フツウに暮らしててちょこちょこ月桂樹から葉っぱもらったりできない、そういう人々のみっともなさを余すことなく書いてるよね、トーマス・マンは。
 
さて
 
 こころの糧にしている子どもの本のコーナーを読み尽くしていたわたしは(だって団地のなかの本屋だもん)母親に
読む本がなくなったらどうやって生きていったらいいか「恐怖にかられ」尋ねたことがあった。
 
「大人の本ってもっとあるんじゃないの?」
 
この人が本等活字を読んでいるところを子どもの頃見たことがない。
 
さてと
 
 昨日喧嘩したから、大人げなくいやなことばかり思い出してみたが、でもお互いわかりにくいことを我慢しながらやってきたのさ、私が子ども育てわかったこと。
 
こどもは親を選べない。でも親もこどもを選べない。
 
 
カントの「純粋理性批判」を読んでいるような母親だったら自分の人生も変わってただろうなあ、なんて思ってしまうが、それは向こうだって同じよ。もっと変じゃないこどもがほしかったわ。
 
きっと私は後悔する。あなたはあなたの、わたしはわたしの持ち場にいるしかなかったことを。そこを踏み越えられなかった自分の情けなさを。
 
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 人は生まれる場所を選べない
 
という真実ひとつが人類平和の礎である。そのあきらめが・・。
や、それが「あきらめ」でなく真に「実感」されてしまったら、人類は終わってしまうだろう。人は「差」を作ることで存在理由を担保している。小さい単位なら家が。それが挙句は国に。
 
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さらに言うなら、人は「自分であること」も選べないのである
 
そのことをよくわからないと声楽のレッスンは成り立たない。
そんな声じゃない、でもそんな声である「理由」がある。その理由はきっとあなたが「大事にしている」なにかと深くかかわっているのでは?
 
 どこで生まれても人間はA音で泣くんだってさ。確かに。娘が生まれたとき、私は火災報知器がなっていると思った、ああ、こんな時に火事なんだ、と思った。私の絶対音感が使われた唯一の瞬間であった。
 
さて、もうそんな「意味のない泣き方」など私たちはできないから、いろんなキーで泣いちゃうよね。
 
多くの生徒がお試しレッスンで言う。「もっと自然な声でうたいたい」と。それって自分であることをやめないと「そんなふうに」なれないだろうね。
 
平和実現も自然な発声もだから難しいのよね。
 
 
 
 
 
 
 

 

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