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声楽のコンクール

 今日はクラコンの審査の日なので、後でパル多摩に行かねばならないが、そのパル多摩・・。

パルテノン神殿から取ってるんだが、パルテノン多摩・・だがこの辺りはガウディの建築を模したものやらいろいろ恥ずかしいものがあり、結果としてはディズニーランドのような作り物感満載で、いろいろ考えたんだろう住宅供給公社、「団地」からの脱却というか。どんな建築も芸術も古くなって目も当てられない時代が来て、さらに風雪にさらされ、定着するものと淘汰されるものに分けられるのだろうが、かの大バッハでさえ、埋もれてたところをメンデルスゾーンに「発見」されたりしている。

多摩ニュータウンがまた「発見」される日は来るのだろうか?ゴーストタウン化するには若干交通の便が良いし、エレベーターのない棟などが建て替えになったりしてまた持ち直すような気がする。でも重松清「定年ゴジラ」に描かれているような「遠距離通勤を家族のために厭わないお父さん」がいるのか、という話だが、都心まで1時間というのは決して遠距離じゃない、と言われてしまいそうだな。

私の多摩好きと廃墟趣味と団地好きが相まって「魅力」が尽きないが、私は多摩センターの一個手前の京王永山に住んでた(3か月)帰りは必ず寝過ごして、当時の終点多摩センターまで行ってしまったものだが。ここから神田の中学に通っていたが、7時前に電車に乗れば確実に座れるし、中学の頃は電車に乗れば爆睡していたので、遠いという感覚はなかったけど。通勤だったらどうなのかな。

そこは抽選好きで何倍の団地でも当ててしまう父親が当ててしまったので、当時父親の前の奥さんと子ども2人と奥さんの妹というメンバーが住んでいた。私は小学生の頃、月に1回くらい行っては歓待を受けていたが、中学2年の時あまりの勉強の出来なさに、兄に強制的に招集された。3か月で見事に英語の成績は上がったが、さすがの兄も姉も私の数学にはお手上げであった。しかし前の奥さんは非常にいい人というか、なにか階層の高い人らしく、気品があり素晴らしい人だったが(すごい美人だった)その妹というのが今でいう引きこもりで、毎日家で編み物をしていた(当時はおばあさんだと思ってたが、まだ50代半ばくらいだったのでは?)なにかで一回しゃべるようになると、穏やかないい人で、存在を消すようにひっそりと生き、姉の元だんなに食わせてもらっている屈辱とか・・そういうのは下世話な人の考えることで、みんなは天然記念物を大事にするような感覚で彼女を「カウント」していなかった。

深窓の令嬢の老けちゃった版というか。毎晩執り行われる大喧嘩騒ぎ(ヴェリズモ・オペラのようだったよね毎日)の時、彼女がどこにいたかわからない。ただの一回も参戦しなかったと思うが、防空壕があるわけでなく、あの狭い団地の3LDKのどこに隠れていたんだろうか。

永山団地。京王線がくるまでは聖蹟桜ヶ丘からバスに乗った。どんどん東京は西を開拓し、多摩郡はスプロール現象の真っ只中におり、小学生だった私(つまり昭和40年代後半ね)も「やりすぎだ」と思ったよね。

永山団地の果てを散歩してると、よく開発のために発破がかけられているところがあった。その先には多くの精神病院があり、昔はきっとサナトリウムなんか多かった地域だと思われる。

高度経済成長、惣どと運ずの跳梁跋扈した時代、もうそんな単純な時代は来ない。ご主人が惣どで家来の奥さんが(しつこいな)つうで、子どもの尻たたいて有名大学に入れて将来惣どにしようとしている、とかね。ご主人と奥さんが惣どと運ずでお子さんが40なのにひきこもりのつう、とかね、だんなが与ひょうで奥さんは運ずで、でもつうだと言い張ってるとかね。うちはこれかな。

そろそろパル多摩へ。

 

 

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